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September 1991999

 火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり

                           秋元不死男

焦げの秋刀魚(さんま)。商売人が焼くようには、うまく焼けないのが秋刀魚である。でも、うまく焼けなくても、うまいのも秋刀魚だ。火だるまの秋刀魚も、また良し。炭化寸前の部分に、案外なうまみがあったりする。第一、火だるまのほうが景気がいいや…。と、結局のところで、妻の焼き方の下手さ加減を嘆じつつも、作者は彼女を慰めていると読んだ。ただし、これは秋刀魚だから句になるのであって、たとえば鰯(いわし)などでは話にならない。さて、秋刀魚に詩的情趣を与えたのは、御存じ・佐藤春夫の「秋刀魚の歌」(『わが一九二二年』所収)である。「あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ/……男ありて/今日の夕餉に ひとり/さんまを食(くら)ひて/思ひにふける と。」にはじまる詩の哀調は、さながら秋刀魚に添えられる大根おろしのように、この魚の存在を引き立ててきた。ところで 今年の秋刀魚は、昨年につづいて不漁だという。平年だと一尾100円のものが、150円ほどはしている。そこで橋本夢道に、この一句あり。「さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ」。(清水哲男)


January 2912000

 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたるものを食わしむ

                           橋本夢道

性読者よ、お怒りめさるな。奥さんとの仲はとてもよかったというのが、作者を知る人たちの一致した弁。句は、妻へのいたわりの反語的表現なのだ。「馬鹿なやつめ」が、愛情表現の反語に通じているのと同じこと。毎日の食卓に気の利いた料理ひとつ出せない貧乏生活を、妻に強いている自責の念が込められている。近代俳句の社会派を代表する夢道は、俳句弾圧事件のために、約二年間の獄中生活を余儀なくされた。代表作の一つ「大戦起るこの日のために獄をたまわる」(1941)は、すさまじいまでの反語表現による抵抗句だ。徳島県吉野川流域の小作農家に生まれ(1903)、十五歳で上京して深川の肥料問屋に奉公。その後いくたびか職をかえ、戦後は銀座月ヶ瀬の役員となった。で、ここで再度女性読者にアピールしたいことがある。何を隠そう。実は、この人は「蜜豆(あん蜜)」を発明し、世間に知らしめた一大功労者なのだ。はじめて蜜豆を売りだしたときのコピーに「蜜豆はギリシャの神も知らざりき」と書いて、これが評判となり、売れ行きが大いに伸びたという話が伝わっている。俳句の世界では自由律の権化のように思われている夢道だが、五・七・五の魅力はちゃあんと承知していたというわけだ。『無礼なる妻』(1954)所収。(清水哲男)


March 1632004

 自分の田でない田となってれんげも咲く

                           三浦成一郎

語は「れんげ(蓮華草・紫雲英)」で春。いまでは化学肥料の発達で見られなくなったが、かつては緑肥として稲田で広く栽培されていた。この季節に紅紫色の小さな花が無数に田に咲いている様子は、子供だった私などの目にもまことに美しかった。春の田園の風物詩だったと言ってもよいだろう。その美しい情景が、もはや「自分の田でない田」に展開している。生活苦から手放した田と思われるが、他の動産などとちがって、売った田や山は、このようにいつまでも眼前にあるのだから辛い。「れんげも」の「も」に注目すると、自分が所有していたころには「れんげ」を咲かすこともできなかったのだろう。どうせ手放すのだからと、秋に種を蒔かなかった年があったのかもしれない。いずれにしても、他人の手に渡ってから美しくよみがえったのである。その現実を突きつけられた作者の胸の疼きが、ひしひしと伝わってくる。戦前の一時期に澎湃として起こったプロレタリア俳句の流れを組む一句だ。五七五になっていないのは、虚子などの有季定型・花鳥諷詠をブルジョア的様式として否定する立場からは当然のことだったろう。プロレタリア俳句の萌芽は、自由律俳句を提唱した荻原井泉水の「層雲」にあったことからしてもうなずける。リーダー格の栗林一石路や橋本夢道、横山林二などは、みな「層雲」で育った。「山を売りに雨の日を父はおらざり」(一石路)、「ばい雨の雲がうごいてゆく今日も仕事がない」(夢道)。掲句が発表されて数年後には京大俳句事件などが起き、言論への弾圧は苛烈を極めていく。俳句を詠み発表しただけで逮捕される。今から思えば嘘のような話だが、しかしこれは厳然たる事実なのだ。自由な言論がいかに大切か。こうした歴史的事実を思うとき、いやが上にもその思いは深くなる。「俳句生活」(1935年7・8月合併号)所載。(清水哲男)


March 3032007

 きびしい荷揚げの荷に頬ずり冬の汗して投票に行かない人ら

                           橋本夢道

句や文学の名に「プロレタリア」の形容を冠する意味はあきらかである。文学に対する政治の優位をはっきりと言っていて、後者の「正しかるべき在り方」の遂行のために前者が存在するという明解な価値観である。これはつまらないと僕は思う。方法としてのリアリズムの効果は認めるが、社会底辺の労働が「必ず美しく正しく」描かれるのは、これはリアリズムというよりは労働ということの「意味」を社会的解説的に問うているということではないか。政治スローガンの戯画化にどれほどの文学性があろうか。「橋本夢道」の一般的評価は別にして、この句は特定の党に投票しなさいと声を張り上げているわけではない。投票日が来ても、その日の日銭を稼ぐのに切羽詰っていて投票所に行く時間がない人たちがたくさんいる。社会変革に踏み出す前にその日のパンをどうするかの問題。ストライキで電車を動かさない現場の人たちを働く仲間として支援できるか。職場に行けない自分が迷惑を蒙ったとしてストを非難するのか。デモ隊と現場で対峙する警官への憎悪と、彼らの個々の「人間性」への理解をどう折り合いをつけるのか。この句のリアルは「荷に頬ずり」と、この人たちを正しいとも間違っているとも言わないところ。現実の瞬間を動的に把握している点において特定の党派の意図など入り込む隙もない。この句の持つ意味をもうひとつ。自由律とは大正期はこんな自由なバリエーションが存在した。尾崎放哉の出現があって、それ以降はみんな放哉調をまねて行く。放哉調が自由律の代名詞になるのである。初期のこういうオリジナルな自由律と比較すれば、山頭火ですら放哉のものまねに見えてくる。谷山花猿『闘う俳句』(2007)所載。(今井 聖)


January 0112008

 妻よ天井を隣の方へ荒れくるうてゆくあれがうちの鼠か

                           橋本夢道

けましておめでとうございます。末永くよろしくの思いとともに、自由律の長〜い一句を掲句とした。子年にちなんで、ねずみが登場する句を選出してみたら、あるわあるわ150以上のねずみ句が見つかった。以前猫の句を探したときにもその数に驚いたが、その需要の元となるねずみはもっと多いのが道理なのだと納得はしたものの、現代の生活ではなかなか想像できない。しかし、〈長き夜や鼠も憎きのみならず 幸田露伴〉、〈新藁やこの頃出来し鼠の巣 正岡子規〉、〈鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た 尾崎放哉〉、〈しぐるるや鼠のわたる琴の上 与謝蕪村〉、〈寒天煮るとろとろ細火鼠の眼 橋本多佳子〉などなど、それはもう書斎にも寝室にも台所にも、家でも外でもそこらじゅうに顔を出す。どこにいても決してありがたくない存在ではあるが、あまりに日常的なため、迷惑というよりも「まいったなあ」という感じだ。掲句の屋根の上を走るねずみの足音にもにくしみの思いは感じられない。荒々しく移動していくねずみに一体なにごとが起きたのか、天井を眺めて苦笑している姿が浮かぶ。おそらく呼びかけられた妻も、また天井裏続きのお隣さんもおんなじ顔をして天井を見上げているのだろう。『橋本夢道全句集』(1977)所収。(土肥あき子)


October 05102009

 さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ

                           橋本夢道

えを詠んだ句を、私は贔屓せずにはいられない。あれは心底つらい。いまでも鮮明に覚えているが、敗戦直後は三度の食事もままならず、やっと粥が出てきたと思ったら、湯の中に米が数十粒ほど浮かんでいるという代物だった。これでは腹一杯になるはずもないと、食べる前から絶望していた記憶。いつか丼一杯の白飯を食べてみたいというのが人生最大の夢だった記憶。掲句は有名な「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」を第一句とする連作のうちの一句だ。「さんま」が食いたくて、矢も盾もたまらない。今日の読者の多くは、空を泳ぐさんまの姿を手の届かぬ高価な魚の比喩として理解し、たいした句ではないと思うかもしれない。無理もない。無理もないのだけれど、この解釈はかなり違う。なぜなら、この空のさんまは、作者には本当に見えているのだからだ。飢えが進行すると、一種の幻覚状態に入る。ときには陶酔感までを伴って、飢えていなければ見えないものが実際に見えてくるものだ。子供が白い雲を砂糖と思うのは幻覚ではなく知的作業の作るイメージだが、これを白米と思ったり、形状からさんまに見えたりするのは実際である。元来作者はイメージで句作するひとではないし、句は(糞)リアリズム句の一貫なのだ。つまり壮絶な飢えの句だ。いまの日本にも、こんなふうに空にさんまを見る人は少なくないだろう。今日の空にも、たくさんのさんまが泳いでいるのだろう。それがいまや全く見えなくなっている私を、私は幸福だと言うべきなのか。言うべきなのだろう。新装版『無禮なる妻』(2009・未来社)所収。(清水哲男)


August 2182014

 蜜豆や母の着物のよき匂ひ

                           平石和美

豆はとっておきの食べ物だ。つい先日異動になる課長が課の女性全員に神楽坂の有名な甘味処『紀の善』の蜜豆をプレゼントしてくれた。そのことが去ってゆく課長の株をどれだけ上昇させたことか。蜜豆の賑やかで明るい配色と懐かしい甘さは、子供のとき味わった心のはずみを存分に思い起こさせてくれる。掲載句ではそんな魅力ある蜜豆と畳紙から取り出した母の着物の匂いの取り合わせである。幼い頃から見覚えのある母の着物を纏いつつ蜜豆を食べているのか。懐かしさにおいては無敵としか言いようがない組み合わせである。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」と詠んだのは橋本夢道だけど、男の人にとっても蜜豆は懐かしく夢のある食べ物なのだろうか。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)




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